蛍。
2013.12.30 - 2014.1.3
福島旅行へ。
目的地まで近道しようと、高速バスを早めに降りたが、結局6kmくらい歩く事になった。が、そのおかげで、面白い神社を発見。
その名も、「田神社」。
田んぼ中央の参道を通って参拝する。

近くで畑仕事をしていたオジさんオバさんに聞いたら、田んぼの神様「たのがみさま」の神社で、古くからあるとのこと。
田植えと収穫のときに、祭りをするらしい。(いわき市)
今回の目的は、さざえ堂を見るなどの「観光」だが、いざ現地に来てみると、何を観光するにも、どうしても原発事故の事は気にかかる。少し警戒区域方面へ足を伸ばす事にした。

警戒区域方面、電車で行けるのはこの町まで。(広野町)
脱原発の理由はいくつもあるけれど、僕個人の一番の理由は、ひとたび事故が起こってしまった時の、その土地で生きてきた人々に降り掛かる悲惨さ、だ。
人間がどんなに対策しようと、事故が起こらない「絶対安全」なんて、絶対、ない。
夜、駅前のそば屋で、年越しそばの夕食。

夜の浜辺へ。星空がきれいで、クリスチャンラッセン的な世界とでも言ったらいいか。
潮が、どんどん満ちて行くのがわかり、海が迫ってくるようで怖さも感じる。しかし、延々と寄せては返し続ける波のエネルギーは、ものすごいと思う。
遠くの灯りは火力発電所。(勿来海岸)
朝。




初日の出。真っ赤な宝石が現れたよう。やさしい光。
昨日まで、海に怖さを覚えていたが、その怖さや抵抗がなくなった。

海を伝って、光が届く。

子どもたちは、ずっと、波で遊び続けていた。(勿来海岸)


波の跡(勿来海岸)
高速バスで、磐梯山を抜け、会津方面へ。
晴れていた太平洋側とは一変して、磐梯山の西側は、雪。
磐梯山を越えると、もう日本海側へ来たように思える。

さざえ堂。内部は、二重らせん構造で、登る人と下りる人とが、一切出会わない。
中央部をくぐれば、表裏逆転する不思議。(会津)

さざえ堂の最上部。ここの太鼓橋で、登り下りが反転する。

圓蔵寺。ここが赤ベコの発祥の地とのこと。(会津柳津)

圓蔵寺は、岩の上に建てられたお寺。イタリアのマテーラで見た教会もそうだったが、岩と一体になった建物は、迫力が違う。この寺の起源は、空海によるとの話しも、そう思える。


参道にて。

民家(会津高田)

つらら(会津高田)

終日、雪。
写真では撮れなかったが、一面、雪で覆われた田畑の中に小さな池があり、そこに白鳥の群れを発見できたのは嬉しかった。
今回、宿泊したのは勿来海岸と会津柳津で、海あるいは山。
夕暮れ、夜、早朝と、どんな時間を持てるかは、やはり大事だと思った。その旅のハイライト、とても印象に残るものになる。
旅に限らず、「どこに住むか」で、夜と朝の時間が決まる。これは大事にしたい。
目的地まで近道しようと、高速バスを早めに降りたが、結局6kmくらい歩く事になった。が、そのおかげで、面白い神社を発見。
その名も、「田神社」。
田んぼ中央の参道を通って参拝する。
近くで畑仕事をしていたオジさんオバさんに聞いたら、田んぼの神様「たのがみさま」の神社で、古くからあるとのこと。
田植えと収穫のときに、祭りをするらしい。(いわき市)
今回の目的は、さざえ堂を見るなどの「観光」だが、いざ現地に来てみると、何を観光するにも、どうしても原発事故の事は気にかかる。少し警戒区域方面へ足を伸ばす事にした。
警戒区域方面、電車で行けるのはこの町まで。(広野町)
脱原発の理由はいくつもあるけれど、僕個人の一番の理由は、ひとたび事故が起こってしまった時の、その土地で生きてきた人々に降り掛かる悲惨さ、だ。
人間がどんなに対策しようと、事故が起こらない「絶対安全」なんて、絶対、ない。
夜、駅前のそば屋で、年越しそばの夕食。
夜の浜辺へ。星空がきれいで、クリスチャンラッセン的な世界とでも言ったらいいか。
潮が、どんどん満ちて行くのがわかり、海が迫ってくるようで怖さも感じる。しかし、延々と寄せては返し続ける波のエネルギーは、ものすごいと思う。
遠くの灯りは火力発電所。(勿来海岸)
朝。
初日の出。真っ赤な宝石が現れたよう。やさしい光。
昨日まで、海に怖さを覚えていたが、その怖さや抵抗がなくなった。
海を伝って、光が届く。
子どもたちは、ずっと、波で遊び続けていた。(勿来海岸)
波の跡(勿来海岸)
高速バスで、磐梯山を抜け、会津方面へ。
晴れていた太平洋側とは一変して、磐梯山の西側は、雪。
磐梯山を越えると、もう日本海側へ来たように思える。
さざえ堂。内部は、二重らせん構造で、登る人と下りる人とが、一切出会わない。
中央部をくぐれば、表裏逆転する不思議。(会津)
さざえ堂の最上部。ここの太鼓橋で、登り下りが反転する。
圓蔵寺。ここが赤ベコの発祥の地とのこと。(会津柳津)
圓蔵寺は、岩の上に建てられたお寺。イタリアのマテーラで見た教会もそうだったが、岩と一体になった建物は、迫力が違う。この寺の起源は、空海によるとの話しも、そう思える。
参道にて。
民家(会津高田)
つらら(会津高田)
終日、雪。
写真では撮れなかったが、一面、雪で覆われた田畑の中に小さな池があり、そこに白鳥の群れを発見できたのは嬉しかった。
今回、宿泊したのは勿来海岸と会津柳津で、海あるいは山。
夕暮れ、夜、早朝と、どんな時間を持てるかは、やはり大事だと思った。その旅のハイライト、とても印象に残るものになる。
旅に限らず、「どこに住むか」で、夜と朝の時間が決まる。これは大事にしたい。
2013.12.18
家のインターネットがなくなってしまったのもあり、しばらく、このブログを開いていませんでした。
建築の仕事を基本に、あとは趣味のマジックと、最近は、小さなプランターでのワケギ栽培…。
基本的には、あい変わらず。続けることを、続けています。
もちろんこのブログも続けていくつもりですが、少し、間が開き気味になっています。
あと、近況としては、会社のスタッフブログも、月に一回くらいのペースで書いています。
会社のスタッフブログへ
よければ、こちらものぞいてみて下さい。
建築の仕事を基本に、あとは趣味のマジックと、最近は、小さなプランターでのワケギ栽培…。
基本的には、あい変わらず。続けることを、続けています。
もちろんこのブログも続けていくつもりですが、少し、間が開き気味になっています。
あと、近況としては、会社のスタッフブログも、月に一回くらいのペースで書いています。
会社のスタッフブログへ
よければ、こちらものぞいてみて下さい。
2013.9.22
「第1回こども文化スポーツフェスタ」へジャグリングのブース出店のお誘いを受け、普段一緒にジャグリングの練習をしている仲間と、行ってきた。
上の写真は、その看板とサークル紹介の小冊子。夜な夜な制作し、前日の深夜に完成した。
このイベントは、障害のある子どもたちをメインの対象にしていて、様々なスポーツや遊びを体験してもらうもの。ただし、障害のあるなし関わらず、誰でも参加していいイベントで、実際に、いろんな子どもが遊た。
会場が緑地公園だったので、いわゆる「バリアフリー」ではなかったのだけど、その分は、そこに居合わせた「人の力」で解決しようというイベントの方針も、共感が持てた。実際に、現実の世の中はバリアだらけなんだし。
*
さて、ジャグリングの体験には、受付でカウントしただけで 130人くらいの参加があって、大賑わい。それを数人のスタッフでまわすのはなかなか大変だったけど、終わった後、スタッフ全員一致で、「すごく楽しかった!!」と言い合えた。
金山の駅前広場で、ジャグリング公開練習などをやっていた経験も、今回のイベントにつながったと思う。このところの、「一般参加型」のスタイルは、自分がやりたいと思っていたことが形になってきていて、とても大事な活動。
でも、まだ足りない部分も、次々と出てくる。
例えば今回、目の見えない子と皿回しで遊んだのだけど、僕にはまだまだアイディアが足りなかった。もっと何か楽しい工夫ができるはず。
あるいは、恥ずかしくて近づけず、遠巻きに眺めていた子どもに、ちゃんと気づけたか…。仲間の大蔵さんの動きに、助けられたなと思う。
*
大学の頃、作業所に遊びに行っていたころから思っていたけど、精神的にハンディのある人の圧倒的な正直さ、うそのなさは、ホントにいいなあと思う。「健常者」に、あんなに素直な表現ができるだろうか。
そういう様子を見ていて、今回ふと、人の「障害の量」は変わらないじゃないかなと思った。
昔、『人の一生の「幸せ」の量はみな同じ。』というような意見を聞いた事があって、間違ってないかもな思ったことがある。大金持ちの人も、庶民も、さほど幸せの総量は変わらないんじゃないかなと。それと同じで、障害の量も、案外変わらないかもしれないと思った。いろいろな「優秀さ」が、何かの妨げになっていることは、たくさんあるはず。
この話しはいろいろ反論もあるかもしれないけれど、ただ、こうやって考えてみると、様々な個性というものが、面白いなと思えるし、そのどれもを肯定できるように思える。
*
と、思いつくままに書き連ねたけど、その他にも、発見の多いイベントになった。
両親も遊びに来てくれ、普段、自分が遊んでいる人たちを紹介できたのも、よかったと思う。
「第2回」も計画するそうなので、また、遊びにきたい。
2013.8.29
「らっきょう漬け」
漬けてから、1ヶ月以上経ったので、ちょっと味見してみた。
結果、今まで、一番美味しいらっきょう漬けになったと思う。
正確に言うと、「あのらっきょう漬け」に近づいた。
「あのらっきょう漬け」とは、震災後の宮城県に手伝いに行った時に、現地の老夫婦が家で食べさせてくれたもの。
それまで、僕はあまりらっきょうが好きなわけではなかったけど、このらっきょう漬けは本当に美味しいと思った。
シャッキっという食感と、甘すぎず、酸っぱすぎず、いくらでも食べたくなる味付け。
普通、らっきょう漬けと言えば、カレーの「お供」くらいに考えてしまうのだけど、この時食べたらっきょうは、ただそれだけで美味しいらっきょうだった。
あまにり美味しいので、奥さんにつくり方を聞き、イラスト付きでメモをとった。
そんな事があって、名古屋に帰ってきてから、らっきょう漬けを自作するようになった。
今年は、2年目。
昨年は2種類の酢で試したけど、両方とも酸味が強かった。
そこで今年はもっと酸っぱさを抑えた酢を使用してみたのだが、これで、甘すぎず、酸っぱすぎず、が実現できた。
今年、もう一つ試みたことが、らっきょう栽培。
大家さんに許可を取り、庭の一部を小さな畑として、野菜を育てていたのだけど、秋にはらっきょうも植え、らっきょうも自分で育てた。
本当は2年がかりで栽培するものなので、収穫できたのはやや小ぶりならっきょう。
だが、シャッキっという食感は、昨年のものより、断然よい。
まだ1ヶ月しか漬けていないので、今後、数ヶ月待つ事で、どう味がよくなるかが楽しみだ。
昨年の経験だと、半年、一年と漬けた方が、美味しくなったから。
何はともあれ、「あのらっきょう漬け」に、近づいてきたのは、確か。
これを持って、久しぶりに、東北へ遊びに行くのも楽しそうだ。
2013.8.24
「自分の、手に、感謝する」ということについて。
先日、友人が、「手にクリームを塗っている時に、ふと、自分の手に、感謝する気持ちになった。いろいろなものを作ったり、楽器を演奏したりでき、今の自分があるのは、この両手のおかげで、本当にありがとう、と思えた。」と話していた。
この話しは、すごくハッとさせられ、そして、そうだなあと共感した。
これまで思っていたことに、以下の2点がある。
・感謝とは、自分ではなく、明らかに他者に対してのことで、他者に感謝することは、やっぱり、大切にしたい。
・また、いろんな人の話しを聞いていて、自分で自分のことを高評価する話しは、どこか違うなと思ってしまうことが多い。
以上の2点は、そう思っているのだけど、
今回の「自分で、自分の手に、感謝する」ということは、このどちらとも違う。
「自分の手」というのは、自分の一部ではありながら、しかし、それを見ている「自分」とは、異なっているから。
早い話し、「自分の手」を「モノ」としてみているようなものだ。
そんな、今回の友人の意見は、新鮮で、かつ、大事なことに思えた。
他者に感謝するよりも前に、やっぱり、まずは自分自身に、感謝するべきなんじゃないか。
そう思った。
自分の、手に、足に、目・鼻・口・耳に、ありとあらゆる自分の身体に。命に。
そう気づいてみると、自分の身体に対して、今までおろそかにしていて申し訳なかったと思えてくる。
今まで、当たり前に、今の自分を支えてくれて、どうもありがとうと。
手さん、ありがとう。目さん、ありがとう。血管さんも心臓さんも、爪さんだって、毛さんだって、どうもありがとう。
一度、身体の全員に、挨拶しなきゃいけないのかもしれない。30年もありがとう、と。
先日、友人が、「手にクリームを塗っている時に、ふと、自分の手に、感謝する気持ちになった。いろいろなものを作ったり、楽器を演奏したりでき、今の自分があるのは、この両手のおかげで、本当にありがとう、と思えた。」と話していた。
この話しは、すごくハッとさせられ、そして、そうだなあと共感した。
これまで思っていたことに、以下の2点がある。
・感謝とは、自分ではなく、明らかに他者に対してのことで、他者に感謝することは、やっぱり、大切にしたい。
・また、いろんな人の話しを聞いていて、自分で自分のことを高評価する話しは、どこか違うなと思ってしまうことが多い。
以上の2点は、そう思っているのだけど、
今回の「自分で、自分の手に、感謝する」ということは、このどちらとも違う。
「自分の手」というのは、自分の一部ではありながら、しかし、それを見ている「自分」とは、異なっているから。
早い話し、「自分の手」を「モノ」としてみているようなものだ。
そんな、今回の友人の意見は、新鮮で、かつ、大事なことに思えた。
他者に感謝するよりも前に、やっぱり、まずは自分自身に、感謝するべきなんじゃないか。
そう思った。
自分の、手に、足に、目・鼻・口・耳に、ありとあらゆる自分の身体に。命に。
そう気づいてみると、自分の身体に対して、今までおろそかにしていて申し訳なかったと思えてくる。
今まで、当たり前に、今の自分を支えてくれて、どうもありがとうと。
手さん、ありがとう。目さん、ありがとう。血管さんも心臓さんも、爪さんだって、毛さんだって、どうもありがとう。
一度、身体の全員に、挨拶しなきゃいけないのかもしれない。30年もありがとう、と。
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